ダイヤ改正で宮原総合運転所へ返却回送される日本海大ミハ編成 2008/3/16 塚本駅にて 管理人撮影
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その他の画像 | |||
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画像1…日本海1・4号で使用されていた宮原車の方向幕。現在は見られない。 |
画像2…日本海3・2号で使用され、現在も活躍中の青森車の方向幕。 |
画像3…日本海のテールマーク。日本海の波をイメージしたシンプルな物。 |
画像4…西大津(現 大津京)で特急の通過待ちをする日本海4号。 |
使用形式 | 牽引機…EF81(大阪〜青森)、客車…24系 |
走行区間 | 大阪〜青森 |
運転時最高速度 | 110km/h |
編成 | 通常期…機関車+客車9両、繁忙期…機関車+客車13両 |
運転時期 | 1950年11月8日〜 |
運転開始当初は急行として運転されていた日本海。
1968年に20系客車を使用した寝台特急日本海を新設し、日本海が特急へと格上げされた。
急行日本海だった列車はきたぐにと改称し、急行きたぐにが誕生した。 1975年のダイヤ改正では大きな動きが見られた。一つは2008年まで続いた2往復体制(当時1往復は期間限定運用)が確立された事。 もう一つは有名な話で、以降3年間、九州の早岐に所属するあかつき用の客車を一部使用し、 運転された事である。九州の車両が本州の北端まで走行する広範囲運用が話題を呼んだが、この運用の関係で日本海の食堂車は廃止された。 この運用が廃止されたダイヤ改正で、客車が現行の24系へ変更され、期間限定運用だった1往復は定期運用へ格上げされた。 1985年より、日本海1・4号の1往復を宮原車編成に変更。この体制が国鉄民営化後も2008年まで続く事となる。 1988年の青函トンネル開通後は日本海1・4号の運転区間が大阪〜函館とされる。青森〜函館間ではED79が牽引を担当した。 なお、北海道乗り入れは利用客の減少で2006年に廃止された。 全国の寝台特急が多数廃止・減便された2008年のダイヤ改正では日本海も例外ではなく、3・2号が廃止され1往復体制となった。 残った1往復は青森車により運転される事となり、宮原車使用の日本海は消滅した。 |